#16 正解を求める心
私はいつの日からか、どこかに正解があると信じて生きていきました。
では、大人になってその結果は?
正解はなかった、というのがひとつの答え。
あるいはすべて正解。
誰にでも育った環境の中で「これが正解」「これが間違い」だと言葉でも言葉でなくても教えられてきました。
しかし社会に出ると、それは単なるひとつの信念に過ぎなかった。
私のパートナーが生まれ育った環境では”ジョークで人を笑わせるのが礼儀”。
私が生まれ育った環境では”口数少なく、おしとやかでいるのが礼儀”。
二人が一緒になるとどうなるか?
互いに戸惑い、時には怒りが生まれたりすることもありました。
しかし、付き合いだしたとき、すでに私は心理学そしてインナーチャイルド の書籍を読み漁っていたおかげでその戸惑いや怒りが当たり前であると気がつきました。
戸惑いや怒りが生まれるのは当たり前であり、幻想です。
異なる環境で育った二人。
各自何が正しいのかを家庭で教えられてきて実践している。
なのに、相手は全く違うことをしている。
自分が教えられてきたことだけが正しいと思い込んで、他のものは間違いだと思い込み、ネガティブな感情になる。
それだけのことでした。
本当は色々な人がいるんだ、と心の底で気づけばよかったのですね。
子供から大人になれたような経験でした。
この経験をするために私たちは思い込みがあるのかもしれませんが。
あまりに正解を求め過ぎたり、自分の正しさを信じ込む力が強烈だと、それがネガティブ感情となって自分や他者を苦しめる可能性があるということをお伝えしたかったのです。
私は5年前、怒りの毎日でした。
結局は親から教わったルールを必死に守って、親に見捨てられないようにしていました。
そして、周囲の誰にも褒められず認められないことに対して「なんて失礼な人たちなんだろう。私はこんなに正しいことをしているのに。」と思っていたのです。
そして自ら人を遠ざけて、でも寂しいという悪循環に陥りました。
このように自分だけが正しいと思い込むと段々と苦しくなっていきます。
なので、私も正しいし、相手も正しい。
そういう見方をすると、どのような人も以前より受け入れられる気がしませんか?
また、中には態度の悪い、妙にとげとげしい人もいますよね。
ついつい苦手と思ってしまいますがそういう方は自分の傷に目も向けられず、トゲトゲすることで必死に守っている可能性があります。
「ああ、たくさんの傷をトゲトゲで守っているのか」と思うと、相手のことを想像でき、自分も相手も守る考え方ができます。
このように他人はすべて自分とは全く異なる価値観で生きてきた人たちで、他人の傷は自分にはわからないし、自分の傷も他人にはわからないと頭の隅に置いておくと自分の正しさを主張したい気持ちも和らいでいくかと思います。
ちなみに、自分の意見を述べることはとても大切だと思います。
意見を述べる時ほど、自分も相手も尊重するような考え方、話し方を心がけたいですね。
airi